このプロジェクトにかける想い

こんにちは下山です。

いつもは写真を多く並べるブログですが

今回は文字を使ってこのプロジェクトに対する想いを綴りました。


金沢に移住をして約1年。

宮城県の加美町という地域の、ど田舎で育った僕は

華やかなファッション業界に憧れ

デザイナーになる夢を抱え、

東京の服飾大学に進学しました。

学生時代は服づくりに没頭して、

念願のデザイナーとして就職することができました。

しかし、夢と現実には大きな差がありました。

アパレル企業はとても華やかな世界と

呼べるものではありませんでした。

仕事柄一日の大半を社内で過ごし

デスクワークが中心でした。

まだ若手だったということもありますが、

織ったり縫ったりしてくれる工場さんとのやり取りも

電話やメールばかりでした。

ものづくりの現場も知らないまま

気がつくと製品サンプルが届き

あっと言う間に、店頭に商品として並んでいきます。

そして気がつくと、新作の服にセールの赤字がついています。

セールでも売れなかった商品の大半は焼却処分になります。

よりよいものを目指すのではなく、感情を置き去りに

どんどん新商品がつくられりりースされて、

とにかく東京はもので服で溢れかえってしまっていました。

こういった現実はアパレルに限らず、全国にたくさんあると思います。

僕はこのような仕組みを否定するつもりはありません。

企業も生き残るためには商品をたくさんつくらないといけませんし

たくさん売らないといけません。

そしてそれが“ファッション”なんだと思います。

ですが、これからの時代のものづくりの仕組みに

ついて考えた時、本当にこのままでいいのだろうかと

疑問に感じずっと悩んでいました。

そんな時に僕はセコリ荘の地方展開の話聞きました。

(地方展開の話は長くなるので、ここでは省略させて頂きます。)


国内有数の繊維産地でもあり、伝統的なものづくり、最先端のものづくりが今も数多くあるのが北陸産地の特徴です。


そのような場所でものづくりを一から学び直し

未来に伝えるものづくりの仕組みを考えたい。


自分の目標とセコリ荘の地方展開の役目を抱え、石川県は金沢市に移住をしました。


手探りで始めた取材活動ではものづくり現場に溢れる魅力に触れることができました。

また、工場や工房が抱える問題を知りました。


ものづくり現場の魅力をもっと多くの人に知ってもらい、現場の抱える問題を少しでも解決すること、それこそがものづくりを未来につなげることができる糸口なのではないかと強く思うようになりました。


そのために、拠点を構えて、同じ思いを持った賛同者や共感者と共に活動の輪を広げなけれ

ばいけない。


27 歳、未来を担う世代の一人として、人生最大のミッションでもあります。

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